戊辰戦の遺跡
慶応4(1868)年9月1日、塩坪手前の一竿(ひとさお)の(舟)渡し場付近で、西軍と激しい銃撃戦があって、元佐渡金山奉行 小栗上野介 家臣 塚越富五郎が討ち死に。その顕彰碑がここに建っていることを、我ら同級生よ、知ってるかい?
今日、仕事帰りに写真を撮ってきた。
奇しくも昨日の福島民友新聞に、同じ群馬県権田村出身の家臣佐藤銀十郎の記事が出ていた。
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20170508-170177.php
喜多方市の熊倉町で戦死、「戊辰150年となる来年の9月、熊倉史学会が、銀十郎の墓がある同町の杉ノ下墓地で顕彰墓前祭を行う。」という。
喜多方市内に家臣2名が眠っているなんて、みんなはこの符合をどう読み解く?
元佐渡金山奉行の妻子を新発田に落ち延びさせて、自分たちは戊辰戦に参加して死ぬ。軍用金とか徳川埋蔵金とかの言葉がちらついて・・・・。(おーい! われら同級生たちよ、シャベルもって集合だ!)
そして、同じ市の高郷でも墓前祭はあるのかしら?
塚越富五郎の慰霊碑
戦闘があった一竿の渡し場 右側が富五郎終焉の地
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