出発・・到着・・
懐かしい荻野駅です。昔の面影と大分違っているけれど、写真を見て、記憶を「あ、これ!」と、思い出してください。駅舎はもとより、改札口などもすっかり変わってる。
プラットフォーム (platform)=ホームを見ると、見送った人や、迎えた人、それぞれの、笑顔や悲しそうな顔を思い出すよ。出会いよりも別れの方が多かったかな。
今の荻野駅とプラットホーム。乗車の改札口は駅舎の中にあり、降車の改札口は階段を降りたこの平地にあった。木の枠だったよな。
列車から降りると駅前広場。ずいぶん変わったよな。オレも詳しく見たのは数十年ぶりだよ。
この広場に櫓を建てて、盆踊りや同級生のW君のバンド音楽をやっているのを見に来た。
ヒトより熊が好きなオレだから、滅多に、見に来なかったけれどね。
上り 会津若松方面。小学生の頃、ここから夜行で8~9時間かけて上野に行ったことを思い出す。郡山で乗り換え、満員でデッキにぶら下がっていったこと。(古い時代だよな。)
SL(蒸気機関車)の音・石炭くさい煙・汽笛・蒸気の吹き出し、列車に乗って旅立って行った同級生たちの顔・顔・顔、・・・・。
下り 新潟方面。ここから下りに乗る人は、上りよりも圧倒的に少なかったと思う。
荻野は新潟県出身の人たちが多いと聞く。石材(大谷石のような荻野石)の産地だった。
ホームへの道 昔は手前右側にあった踏切。線路を横切ってホームに上がったよな。
ホームは、乗客用と貨物用と二つあって、乗客用は2本の線路があって(島式プラットホームと言うらしい)、上り用と下り用と両側に線路があって、貨物用は線路が一本、反対側は荷物の積みおろし用にするため線路はなかった、と思う。
今はちっちゃな駅になってしまったけど、昔は大きなもんだったよな。駅長や助役、駅員さんたち、それに日通の営業所もあって、活気があったなぁ。日通所長のおっさんが威張っていて、用足しにゆくのがいやだったことを思い出した。
(昔は威張っている大人が大勢いて、酔っ払ってフラフラ歩いている大人もあちこちにいて、「大人は大嫌い」、と思っていたら、いつの間にかオレも、その後を追っているよ。)
昔の駅舎だよ、お世話になった駅員さんたち、なつかしいなぁ
農協事務所・オート三輪車・後ろは貨物専用ホームと貨物倉庫。ヒトも貨物も多かった。
S君から、メール
「今日のHP懐かしかったよ。有難う。
暑いので大変ですが、負けずに頑張ろう。」(8月13日)
みんな頑張って、いつか元気な顔で「荻野駅」に降り立とうぜ。
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